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第065回
「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業:チャイ、軍艦島ツアーへ行ってきた」

Posted by on 2017/08/07

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【お知らせ】

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●オープニング

・チャイ、畳ディスカスで国内を回る

・リサ、水着を着る

●世界遺産のコーナー

明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業

文化遺産 2015年 日本

登録基準

(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業(めいじにほんのさんぎょうかくめいいさん せいてつ・せいこう、ぞうせん、せきたんさんぎょう)は、2015年の第39回世界遺産委員会でUNESCOの世界遺産リストに登録された日本の世界遺産の一つであり、山口・福岡・佐賀・長崎・熊本・鹿児島・岩手・静岡の8県に点在する。西洋から非西洋世界への技術移転と日本の伝統文化を融合させ、1850年代から1910年(幕末 – 明治時代)までに急速な発展をとげた炭鉱、鉄鋼業、造船業に関する文化遺産であり、稼働遺産を含む世界遺産は日本では初めてとなった。(wikipediaより)

【軍艦島(端島)】

端島(はしま)は、長崎県長崎市(旧高島町)にある島である。明治時代から昭和時代にかけては海底炭鉱によって栄え、東京以上の人口密度を有していたが、1974年(昭和49年)の閉山にともなって島民が島を離れてからは、無人島である。軍艦島(ぐんかんじま)の通称で知られている。2015年、国際記念物遺跡会議(イコモス)により、軍艦島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録された。

端島に残る集合住宅の中には、保存運動で話題になった同潤会アパートより古いものがいくつか含まれている。7階建の30号棟は1916年(大正5年)の建設で、日本初の鉄筋コンクリート造の高層アパートである(ただし1916年の竣工時は4階建て)。
30号棟を皮切りに、長屋を高層化したような日給社宅(16号棟から20号棟、1918年)など、次々に高層アパートが建設された。第二次世界大戦前頃、国内では物資が不足し統制が行われ、鉄筋コンクリート造の建物は建設されなくなったが、この島では例外的に建設が続けられ、1945年竣工の65号棟は端島で最大の集合住宅である。なお、端島で鉄筋コンクリート造の住宅が建設されたのは、狭い島内に多くの住人を住まわせるため建物を高層化する必要に迫られていたためであり、鉱長や幹部職員などのための高級住宅は木造であった。
高層アパートの中には売店や保育園、警察派出所、郵便局、パチンコ屋などが地下や屋上に設けられたものがいくつかあった。また、各棟をつなぐ複雑な廊下は通路としても使われ「雨でも傘を差さずに島内を歩ける」と言われたという。
どの建物にも人員用エレベーターは設置されておらず(1945年建設の65号棟に計画されたが、資金不足で結局設置されなかった。なお小中学校には、閉山までのごく短い期間、給食用エレベーターが設置された)、また個別の浴室設備(内風呂)を備えるのは鉱長社宅の5号棟(1950年)および幹部職員用アパートの3号棟(1959年)、職員用集会宿泊施設の7号棟(1953年)、そして島内唯一の旅館「清風荘」だけであった。トイレも多くが落下式であったが、閉山時には半数ほどの住宅で水洗式が導入されていた。炊事場は閉山まで共同のところが多かった。
岩山の南端、貯水槽の隣に灯台があるが、これは閉山によって夜間の島の明かりが無くなったため、その翌年(1975年)に建てられたもので、正式名称は『肥前端島灯台』。灯台は、1998年に強化プラスチック製の「2代目」に建て替えられた。
木造や鉄骨造で建設された建物は、元から荒波に晒され続けた(酷い時には島全体を波が覆う事すらあった)上に、風雨のほか、防水技術の問題や無人化によって維持管理がなされなくなったことから急速に劣化しており、1号棟(端島神社)の拝殿をはじめ完全に崩壊したものが多い。なお、潮害対策として、建物外部に鉄製の部品が用いられることはほとんどなかった。鉄筋コンクリート造の場合も、その技術が未熟な時期のものも多く、配筋計画の問題のほか、建材の入手難から海砂を混ぜていたこともあり劣化が進んでいる。56・57号棟に設けられたキャンチレバー(張り出しベランダ)は、その設計に不備があったため亀裂が入り、鉄パイプの支柱で補強されていたが、閉山後その支柱も消失し、キャンチレバーが崩落するのは『時間の問題』とみられる。70号棟(小中学校校舎)は波で土台の土が浚われ基礎杭が剥き出しになっている。30号棟を筆頭に古い鉄筋コンクリート建造物が取り壊される事無く手付かずのまま放棄されているため、建築工学の観点からも経年劣化などの貴重な資料として注目されている。(wikipediaより)

●チャイぺディアとユス袋のコーナー

今回はお休みです

●エンディング

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