第079回 白川郷・五箇山の合掌造り集落:資産運用詐欺を見破れ

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・オープニング

思い出したように始まる番組紹介。

グーグルマップに思うこと。

 

・世界遺産のコーナー

白川郷・五箇山の合掌造り集落

岐阜県・富山県、文化遺産 登録年1995年

登録基準 (4)、(5)

 

白川郷(岐阜県大野郡白川村)と五箇山(富山県南砺市)は、いずれも飛越地方庄川流域の歴史的地名で、白川郷は上流域、五箇山は中流域である。白川郷は荘白川(しょうしらかわ)ともいい、現在は岐阜県白川村と高山市荘川町に分かれている。五箇山は富山県の旧平村、上平村、利賀村の3村に含まれていたが、現在はいずれも南砺市に属する。

 

この地域は、白山信仰の修験者や平家の落人伝説とも結びつきが深い。地名としての白川郷は12世紀半ば、五箇山は16世紀にそれぞれ確認できるが、合掌造りがいつ始められたのかは定かではない。江戸時代中期にあたる17世紀末に原型ができたと推測されている。

 

江戸時代の白川郷は高山藩領と浄土真宗照蓮寺領となり、前者はのちに天領となった。一方の五箇山は加賀藩領となり、塩硝生産が保護されていた。塩硝は火薬の原料となる硝酸カリウムで、五箇山では雑草と蚕の糞を利用して抽出する培養法が行われていた。五箇山は流刑地にもなっていた陸の孤島である分、原料調達の長所のほかに秘伝の漏洩を防ぐという意味でも適しており、稲作に不向きな土地柄で養蚕とともに発達した家内工業の一つであった。一帯では現在は水田が見られるが、それらのうち少なからぬ部分が戦後に転作されたものであり、もともとの農業の中心は、焼畑によるヒエ、アワ、ソバ、および養蚕のための桑である。ヒエやアワの収穫は自給分が精一杯であったから、その分家内工業の存在が大きくなった。

 

合掌造りは、そうした家内工業の発展にあわせて、大型化、多層化していったと考えられている。なお、合掌造りが普及する以前の住居形式については、まだはっきりしていない。(wikipedia)

 

・ユッスーと行く!資産運用の旅☆

高利回りの商品が自転車操業、タコ足配当にならざるを得ないわけ。

 

・エンディングとメール紹介のコーナー

むっくさん、たろさガラパゴスさん、杉ちゃん(仮)、ねころんさん、メールありがとうございます!!

チャマキャンプ参加者大募集中!!山でのんびり過ごしましょう!

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第078回 オルホン渓谷の文化的景観:良い靴買おうから始まる物語

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・オープニング

チャイ、今年のテーマを改訂する。「数字」→「小さな勝利を積み上げていく」

超一流の人物になるために

 

・世界遺産のコーナー

オルホン渓谷の文化的景観

モンゴル、文化遺産 登録年2004年

登録基準,(2),(3),(4)

 

オルホン渓谷(オルホンけいこく)はモンゴル中央部のオルホン川両岸に広がっている渓谷。首都ウランバートルの西方約360 kmに在る。その渓谷の文化的景観は、2000年以上に渡って培われてきた遊牧民の伝統を例証するものとして、ユネスコの世界遺産に登録された。

 

何世紀にも渡って、オルホン渓谷はステップの王者の座所と見なされてきた。その最初の徴は、8世紀の突厥(とっけつ、とっくつ)のビルゲ・カガンによってこの渓谷に立てられた『オルホン碑文』である。

 

この石柱の北方約40キロメートル(約25マイル)には、聖なる森に覆われたウテュケン山のすぐ近くに、オルド(Ördü, 遊牧民の拠点)が有った。契丹(きったん、キタイ)人がこの渓谷を支配していた時には、石柱は契丹の権力者の偉業を記録しておくために、3つの言語で刻み直された。

 

山々はテングリ崇拝における世界の枢軸として神聖視されていたが、わけてもウテュケン山は特別視されていた。それは、この山にカガンの祖霊が宿っていると信じられていたからである。くわえて、ウテュケン山からは「汩(こつ、クト)」[1]と呼ばれる霊力が発していて、それがカガンに突厥を支配する神権を与えていると信じられていた[2]。ゆえにこの渓谷を制する者は突厥の支配者たることを天から認められたと見なされ、集団を統率することが出来たのである。

 

したがって、オルホン渓谷を支配することは突厥のどの集団にとって戦略的最重要項目に属し、歴史上、突厥もモンゴル人も拠点をこの地に置いたのである。(wikipedia)

 

・ユッスーと行くサントメ=プリンシペの旅!

ちょうど忘れたころに語るグダグダ旅行記。

 

・エンディングとメール紹介のコーナー

かかかかーんさん、やわらぎみずをあなたにさん、ぬさんたらさん、ヨルヨルさん、メールありがとうございます!!

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第077回 ブルゴスの大聖堂:年末SP★2018年の振り返りと2019年のテーマ

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・オープニング

チャイ、チャマバーで歓喜し、チャマスポットを梯子する。

ユッスー、End of Year Partyを堪能する。

 

・世界遺産のコーナー

ブルゴスの大聖堂

スペイン、文化遺産 登録年1984年

登録基準,(2),(4),(6)

 

ブルゴス大聖堂 (スペイン語:Catedral de Burgos)、またはサンタ・マリア・デ・ブルゴス大聖堂(Catedral de Santa María de Burgos)は、スペイン・ブルゴスにあるゴシック様式のカトリック教会の大聖堂。聖母マリアに捧げられた、巨大でユニークな建築物として有名である。

 

歴史

大聖堂の建設は、カスティーリャ王フェルナンド3世と、イングランド出身のブルゴス司教マウリシオの命で始まった。建設は、1221年7月20日、以前のロマネスク様式の大聖堂があった場所で開始し、完成に9年を要したアプスのシュヴ部分から着工した。祭壇は最初に1260年に聖化された。この祭壇は、建設が推薦される前にほぼ200年ほども長く建設が中断されていた。 大聖堂の工事は、建物の交差部分上部のランタン尖塔の完成した、1567年に完成した(交差部分の頭上には繊細なすかし細工の星形ヴォールトがある)。

建築家たちはおもに、13世紀にはフランス人が、15世紀にはドイツ人が建設の責務を負った。1417年、ブルゴス司教はコンスタンツ公会議に出席し、ケルンのヨハンという建設業者を連れ帰り、彼は石造りのトラセリー(窓上部の狭間飾り)のある塔を完成させた。

歴代ブルゴス司教のなかで最も有名なのは、15世紀の学者で歴史家であるアルフォンスス・ア・サンクタ・マリアである。

1919年、大聖堂はエル・シッドことロドリーゴ・ディアス・デ・ビバールとその妻ドーニャ・ヒメーナの墓所となった。1984年10月31日、ユネスコにより世界遺産に登録された。

 

建築

15世紀に造られた北フランス風ゴシック様式建築の西正面は、六角形の尖塔をもつ塔が側に立つ(尖塔は表面が石造りのトラセリーで覆われている)。3つの階のあるファサードは、尖塔アーチ形をした3つの入り口がある。入り口には小尖塔状の欄干で取り囲まれた歩廊、繊細に刺し通されたバラ窓がある。階最上部は2つの尖塔アーチ形二重アーチのある窓と柱脚上の像、石に彫られたマーク入りの欄干がある。像の中心には聖母マリア像がある。塔の欄干とバルコニーは、銘が彫られている。四つの角を、六角形の小尖塔で針編みレースのように彩っている。

十字架状の平面図には、本堂と、外観の眺めでは広い歩廊がほぼ隠されている。15の礼拝堂が側廊から加えられ、北西にある美しい14世紀の回廊と南西の大司教邸により交差廊と回廊が加わった。西側ファサードの3つの中央戸口上は、2つの優雅な塔がそびえ立ち、小尖塔を頂く。祭壇の多くと、礼拝堂及び像は大聖堂内にあり、芸術的・歴史的意味を帯びている。

北交差廊の入り口は、12使徒像の並ぶ「ポルタダ・デ・ラ・コロネリア」(Portada de la Coronería)の名前で知られる。頭上に、尖塔アーチ形窓と2つの小尖塔を頂く入り口がある。南側入り口で。ポルタダが「書き物机に向かう福音伝道者」を具体的に描いている。

壮麗な六角形の礼拝堂はフランボワイヤン・ゴシック様式である。騎士・天使・紋章といった装飾が並ぶトラセリーで彩られる。この礼拝堂は、カスティーリャの城代であったペドロ・フェルナンデス3世・デ・バラスコとその家族の墓所として建てられたものである。(wikipedia)

 

・ユッスーと行く雑学の旅!

ガーナの経済と財政から日本も学ぶとこあるよ、な話。

 

・2018年を振り返り、来年のテーマを発表するコーナー

2018年の振り返りと、幸せを感じるための4要因。

にのこさん、ぺっちゃんさん、トシさん、いぬいぬさん、エイさん、ありがとう!!

2019年のチャイのテーマは「数字」、ユッスーのテーマは「結果」です。

 

・エンディングとメール紹介のコーナー

ヨルヨルさん、たろさガラパゴスさん、オカピさん、メールありがとうございます!!

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第076回 イエス洗礼の地「ヨルダン川対岸のベタニア」(アル=マグタス):象徴的な逆転現象が意味するもの

・オープニング

ユッスーまたダイエットをする。

チャイ、不思議な体験をする。

 

・世界遺産のコーナー

洗礼の地「ヨルダン川の向こう側、ベタニア」(アル=マグタス)

ヨルダン、文化遺産 登録年2015年

登録基準(3)、(6)

 

アル=マグタス(Al-Maghtas, アラビア語: المغطس‎)はヨルダンのバルカ県に残る考古遺跡で、アラビア語で「洗礼」を意味する。かつて洗礼者ヨハネが活動し、イエスの洗礼も行われたヨルダン川東岸の場所ベタニアと考えられており、遅くとも東ローマ帝国時代までには崇敬の対象となっていた場所である。

 

アル=マグタスは2つの主要な考古遺跡地区を含む。すなわち、「エリヤの丘」(Jabal Mar-Elias)として知られる丘に残る修道院の遺構の区域と、聖堂、洗礼の池、巡礼者・隠者の住居などの遺構が残る川沿いの区域とである。その2箇所は、ワディ・カラール(Wadi Kharrar)と呼ばれる小川で繋がっている。

 

エルサレムと王の道の間という交通の要衝としての位置づけは、イスラエル民族がそこからヨルダン川を渡ったとするヨシュア記の記述からもすでに明らかである。「エリヤの丘」は、預言者エリヤが生きたまま天に上げられた場所と伝えられている。

 

アル=マグタス遺跡は、ヨルダン川両岸が前線となった1967年の第三次中東戦争以降、打ち捨てられていた。その地域にはかなりの地雷が敷設されたのである。しかし、イスラエルとヨルダンの間で講和条約が締結された後、ヨルダンの王子ガーズィー・ビン・ムハンマド主導で地雷の除去が進められ、2010年代半ばまでですでに何度も発掘調査が行われており、観光客や巡礼者、さらにはローマ教皇などの要人も訪れている。(wikipedia)

 

・チャイぺディアとユス袋のコーナー

あいまいな関係だった大切な人。失って気付く大切さ。(マダガスカルさん)

 

・エンディングとメール紹介のコーナー

ぬさんたらさん、さっこさん、まふぃん2号さん、メールありがとうございます!!

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第075回 ホッローケーの伝統的集落:ユッスーのセネガル旅の報告

12/22(土)チャマバー開催!(クリックすると詳細ページに飛びます)

・オープニング

ガーナの運動会

・世界遺産のコーナー

ホッローケーの伝統的集落

ハンガリー、文化遺産 登録年1987年

登録基準(5)

起源

ホッローケーという村の名前はハンガリー語のholló「ワタリガラス」とkő「石」を組み合わせたものである。伝説によれば有力者がこの城を建てて、隣国の美女をさらってそこに幽閉した。その乳母が悪魔に女性の救助を依頼すると、悪魔はカラスたちを使い、城の石を持ち去って助け出したといい、ここから城と村が「ホッローケー」と呼ばれるようになったのだという。異伝では魔女がカラスたちに石を運ばせ、城を作り上げた民話に由来するという。現在の村の紋章でもカラスが使われている。

ホッローケー村は、教区に関する記録を元に1342年には成立していたとされている。しかしながら、村周辺の歴史はもう少し古く、「ホッローケー」の名は、ホッローケー城に触れた1310年の文書にまで遡ることができる。

ホッローケー城

村を見下ろすサールの丘(Szár, 標高365 m)には今もホッローケー城が残っている。伝説では美女や悪魔が登場するが、実際の建造目的はそれらとは何の関係もなく、1241年から1242年にモンゴル帝国の侵攻を受けた後に、それへの備えとして建造されたものである。当時のハンガリー王ベーラ4世は防塞の建築を全土に命じ、ノーグラードの一帯だけでも42の城が建てられた。

最初は五角形の塔が建っているだけだったが、その後数世紀の間に段階的に様々な建造物が増築されていき、現在残るような城になった。この城はフス戦争の際にも宗教改革派を阻む防壁として機能していた。

1526年のモハーチの敗戦以降、ハンガリーはオスマン帝国に蚕食されていき、ホッローケー城も1552年にトルコの勢力圏内に置かれ、その支配は1683年まで続いた。ただし、ホッローケー一帯の支配において城は重視されなかったことから、トルコの支配が終わった頃にはかなり荒廃していた。

しかし、その荒廃がかえってホッローケー城を大破壊から逃れさせたのである。1711年の王令で政敵が匿われうる城塞の破壊が命じられたが、すでに防衛機能を失っていたホッローケー城は、壁などの一部が損壊させられたにとどまった。そのため、ハンガリー北部に残る城砦建築の中では、保存状態が良い部類に属しており、1966年からおよそ30年間をかけて修復作業も行われた。

伝統的集落の形成

ホッローケー村の伝統的な住民たちはパローツ人であり、モンゴルの西進の際にカスピ海沿岸部から逃れてきたクマン人の流れを汲むともされる。その伝統的集落は木造を主体としており、焼失と再建を繰り返してきた。1781年には木造を禁止する法令も出され、罰則も定められたが、木造の伝統は守られていった。

1772年には単一の通りしか存在していなかったが、後に裏通りが整備され、基本的な区画は1885年には確定した。それは今でもほとんど変わっていないが、建造物群の大半は1909年の大火で焼失してしまったため、20世紀になって再建されたものである。再建時には石壁を主体とするようになり、木造は限定的に取り入れられている。

20世紀以降

ホッローケーの村落は、20世紀のハンガリーにおいて経済的に取り残された地域となった。村の周辺には野菜畑や果樹園が広がり、かつては自給自足経済が営まれていたが、地質の悪さから伝統的に貧しく、鉄道や幹線道路の敷設地からも離れていた。1950年代以降にハンガリーが経済成長を遂げ、各地で新しい住宅が建てられたときにも、そうした流れとホッローケーはほぼ無縁だった。しかし、その結果、共産主義政権下での集団農場化にも巻き込まれることがないまま、伝統的集落が良好な状態で保存されることになり、1987年には人が住んでいる村落として初めて世界遺産に登録された。(wikipedia)

 

・ユッスーと行く!セネガルの旅!のコーナー

ユッスー母と再会する。

ユッスー畑を確認する。

ユッスーと名付けられた子との再会

 

・エンディングとメール紹介のコーナー

SAKIさん、くのすぺさん、メールありがとうございます!!

 

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第074回 ネムルト・ダーの巨大墳墓:それでも人は変われる婚


チャイネクスト日本佐賀画合宿(10月27日~28日)
世界遺産検定セカザツ団体受検

・オープニング
ユッスー、38はアウトプットの年に
チャイ、図書館でキングダムを読む

・世界遺産のコーナー
ネムルト・ダーの巨大墳墓
トルコ、文化遺産 登録年1987年
登録基準(1,3,4)

ネムルト山は19世紀後半にオスマン帝国軍が偶然山頂付近を行軍した際に、山頂部が人工的な建造物であったことが発見され、1881年にドイツ出身の技師カール・ゼシュター(Karl Sester)によって本格的な発掘調査が行われた。
ネムルト山の山頂には、コンマゲネ王国の王アンティオコス1世が紀元前62年に建てた、王自身の座像を含む8 – 9 m の巨大像が並ぶ巨大墳墓があるとされているが、現在でも埋葬施設が発見されていない。この事から現在でも、宗教上の儀式を執り行う場として機能していたとする説と、王自身がそこに永眠することを望んだ墓所とする説とが対立しているが、結論は出ていない。
直径152 m、高さ49mの頂上部には、王の座像のほか、2羽の鷲、2頭のライオン、様々なギリシャ神話やペルシャ神話の神々の像などが並んでいる。神像にはゼウス=オロマズデス(ゼウスとアフラマズダが同一視された神)、アポロ=ミトラス、ヘラクレス、テュケ(ギリシャ神話の女神でコンマゲネ王国の守護神)などが含まれている。いずれの像もギリシャ的な顔の造形と、ペルシャ的な服装・髪型の双方の特徴を備えている。また、山頂部は小石が積み上げられているが、この小石は像を作った際に出た石材の破片を再利用したと見られている。
ネムルト山の山頂部分にアンティオコス1世の墓があり、玄室も存在するという説は現在も考古学界に支持されているが、小石を人工的に積み上げて造られているため、崩落の危険性が非常に高く、発掘後の復元の可能性が低いことから、発掘調査ができないという結論に達している。玄室自体も小石を積み上げて造られていると推定されており、盗掘防止のための措置と見られている。このような建造技術は現代には伝わっていないため、復元は不可能という意見が大半を占める(それ以前に、崩落の危険性から発掘ができないとされる)。
王や神々の像は座して並んでおり、それぞれの像に名前が刻まれているが、いずれの坐像も首から上がない。それらの頭部は、像の足元に散在し、一部は鼻が損壊されている。このことから、地震のために頭部が転げ落ちたとする説と、イスラム教徒による偶像破壊運動の一環とする説が挙がっている。
レリーフの施された石版が見つかっており、それらはフリーズ(装飾のある壁)を形成していたと考えられている。そこにはアンティコス1世の系譜が刻まれ、彼がマケドニア人とペルシャ人双方に起源を持つことが示されている。
神像はいたるところに見られるが、多くは東側と西側に集中している。西側のテラスには、木星、水星、火星などの星の配列を眺める獅子のレリーフが刻まれた石版があり、紀元前62年6月7日を示している。この日付は建造が始まった時を表している可能性がある。東部の保存状態は良く、東西のテラスを結んでいた壁付きの廊下の痕跡なども残っている。
観光客がよく訪れるのは6月から8月で、近隣の町は車やバスで観光しようとする人たちで賑わっている。また、ヘリコプターによる観光も可能である。(wikipedia)

・ユッスーと行く!セネガルの旅!予告編のコーナー
3人の母に会う。
3人のユッスーに会う。
ユッスー畑を確認する。

・エンディングとメール紹介のコーナー
Kumiさん、おかゆさん、ネルソンさん、Doryさん、イーサン・ハント好き大学生さん、メールありがとうございます!!

ガーナ布
Kumiさん、いっぷくさん、こたろうさん、アロムさん、タコクラゲさん、イーサンハント好き大学生さん、(ガーナの女の子支援)サオリさん、うさぎぐみさん(ツイッター)、承りました!!まだ住所を送っていない方は、宜しくお願いします!

チャイと行く、日本画合宿in佐賀はチャイネクストまで!!

次回の世界遺産検定は12月16日です!!受付は11月6日まで☆彡

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第073回 サフランボルの市街:クリスパー技術が開く衝撃の未来について


・オープニング
ユッスー、ガーナ生活が長くなりそうです。
ユッスー、何らかのガーナ代表に。
元号の変更に思うこと。
ユッスーが衝撃を受けたゲーム「Detroit beyond human」

・世界遺産のコーナー
サフランボル市街
トルコ、文化遺産 登録年1994年
登録基準(2,4,5)

サフランボル(トルコ語: Safranbolu)はトルコにある街である。カラビュック県に属し、2000年現在の人口は、47,257人。黒海から100km離れた場所に位置し、トルコの首都アンカラからおよそ北200キロメートルに位置している。町の歴史は11世紀に遡ることが可能である。1994年、UNESCOの世界遺産に「サフランボル市街」の名で登録された。

歴史
サフランボルの名前の由来は、香料サフランの集積地として発展した歴史にある(ギリシア語名はサフラムポリス、Saframpolis, Σαφραμπολις)。サフランボルには、先史時代の遺跡及びローマ時代の墓や橋梁も現存しているが、歴史の表舞台に立ったのは、11世紀以降である。世界遺産に登録されているサフランボル旧市街は、乾燥した峡谷に位置しており、旧市街は、旧市街の約2km東に位置している。

サフランボル旧市街には、多くの古い建築物が保存されている。私立の博物館が1つ、25のモスク、5つの霊園、8つの歴史的な噴水、5つのトルコ式浴場、3つの隊商宿(キャラバンサライ)、1つの歴史的な時計等、1つの日時計及び数百に上るイスラーム建築によって建設された住居である。

13世紀には、交易の中心として発展を遂げた。サフランボルに現存する建築物群であるモスク、浴場、スレイマン・パシャのマドラサは、1322年に建設された。

サフランボルの栄華の頂点は、17世紀である。市場が現地の住居よりも優先されて拡張される一方で、60室のゲストルームがある宿屋、コプルル・モスク、イツレット・モスクといった建築物が17世紀から18世紀にかけて建設された。また、オスマン建築に基づいて、建設された住居が当時の姿のまま建設されたのもこの時期である。

しかし、鉄道の発展により、20世紀には、サフランボルは衰退の一途をたどることとなった。(wikipedia)

・ユッスーと行く!雑学のコーナー
CRISPR-CAS9の衝撃たるや!!

・エンディングとメール紹介のコーナー
ごんまろさん、なかたくさん、さとうさん、こたろうさん、いしくん、タコクラゲさん、まさかんさん、ヨウチャン&mihoさん、メールありがとうございます!!

ガーナ布をご希望の方は、メールの最後に、ガーナ布希望!と教えてくださいね☆彡

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第072回 ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群:セカザツ第2世代へ!!


【チャイネクストのイベント】
8/4(土)チャマバー
8/11(土)サンクチュアリセミナー(セカザツライブ)
8/12(日)日本画教室

・オープニング
暑いのは日本の夏
ガーナの暗部を照らすアーティストの話:こちらが動画
トルコツアーの話

・世界遺産のコーナー
ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群
トルコ、複合遺産 登録年1985年
登録基準(1,3,5,7)

ギョレメ国立公園(トルコ語:Göreme Milli Parklar)はトルコのカッパドキア地方ネヴシェヒル県にある国立公園である。奇岩群と古代ローマ時代にギリシア人のキリスト教徒によって建設された地下都市がある。カッパドキア観光の中心地であり、1985年、ユネスコの世界遺産(複合遺産)に「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石遺跡群」として指定された。

この地域への初期の移住は キリスト教が伝播した頃の古代ローマ後期にさかのぼる。史跡の中にはギョレメのオルタハネ、ドゥムス・カディル、ユフス・コックとベジルハネの教会、岩から彫られた家々と縦抗がある。(wikipedia)

・ユッスーと行く!雑学のコーナー
みんな大好きココナッツにまつわる話

・エンディングとメール紹介のコーナー
麻さん、ごんまろさん、ZIZIさん、メールありがとうございます!!

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第071回 ロス・カティオス国立公園:オフ会2018振り返り☆人生にアドベンチャーを


・オープニング

冬は災害

2018年のオフ会をメールで振り返る

ざわちゃん、りょうたさん、メールありがとうございます!

「寝たら忘れるラジオ」と「絶対に負けられないPodcast」のパーソナリティの魅力

 

・世界遺産のコーナー

ロス・カティオス国立公園

コロンビア、自然遺産 登録年1994年

登録基準(9,10)

 

ロス・カティオス国立公園は、コロンビア北西部、チョコ県の国境付近に広がる国立公園である。国境を挟んだパナマ側にはダリエン国立公園が広がり、一帯の自然環境をともに保存することに貢献している。

国立公園が設定されたのは1974年のことである。当初は520 km2 を対象とする国立公園だったが、1980年に面積720 km2に拡大された。それでも、1980年に設定されたパナマのダリエン国立公園(5970 km2)に比べるとかなり狭いが、中央アメリカと南アメリカ大陸の接点にあたるこの地域に独特な動物相を守る上で重要な役割を果たしている。南北アメリカ大陸を縦断するパンアメリカンハイウェイも、ダリエン国立公園とロス・カティオス国立公園が存在する地域では途切れている。

 

ダリエン国立公園と隣接しているため、ロス・カティオス国立公園に見られる動物相や植物相はほぼ共通のものである。アトラト川流域に広がる熱帯雨林は、かつて間氷期の海面上昇時にも水没を免れたことで、多くの生物種にとって避難所の役割を果たしたとも言われており、北上してきた動物種や南下してきた動物種による独特の動物相が形成されている。

 

哺乳類は、世界最大の齧歯目であるカピバラのほか、オセロット、マントホエザルなどが棲息している。鳥類は400種以上が確認されており、これはコロンビア国内で確認されている鳥類のおよそ4分の1に該当する。(wikipedia)

 

・エンディングとメール紹介のコーナー

チコさん、Ebisanさん、おくちゃん、かかかーん、つづぼーさんメールありがとうございます!!

 

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第070回
「ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群:己の仕事の延長線上に描かれる世界の想像を」

【お知らせ】

チャマスタンプ新発売!!

◆セカザツリスナーさんの憩いの場*チャマスポット開設!

☆チャイネクストVALUを始めました!

・オープニング
チャイの上半期ビジョン
ユッスーのアフリカ生活

・世界遺産のコーナー
ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群

文化遺産
登録基準 (6)
登録年 1979年
「ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群」は、ガーナにある近世の要塞群の世界遺産登録物件。ガーナ(旧ゴールドコースト)の沿岸部には、イギリスやオランダをはじめとする西洋諸国がかつて建造した、西洋式の要塞群が多く現存する。世界遺産登録に当たっては、それら要塞群のうち、ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州に残る15世紀末から18世紀初頭に建造された11件が対象となった。ただし登録物件はセントラル州とウェスタン州にのみ点在している。なお、この物件は、日本では「ガーナのベナン湾沿いの城塞群(要塞群)」と意訳されることがある。
ガーナの沿岸部には、15世紀以降西洋人が貿易のための拠点を設置した。ベナン湾一帯は、かつてゴールドコースト(黄金海岸)と呼ばれたことからも明らかなように、もとは金の輸出で栄え、のちには奴隷貿易で栄えた。
貿易が盛んになり、拠点となる要塞(多くは商館を兼ねる)が次々建てられると、沿岸部は要塞群が点在する独特の景観を呈した。かつて60以上あった要塞群も現存するのは約3分の1であり、博物館や学校等の施設に転用されているものもある。
(wikipedia)

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「ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群:己の仕事の延長線上に描かれる世界の想像を」 は
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