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「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」
フランス共和国 1981年登録
登録区分 文化遺産
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フランス共和国 1981年登録
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「ピサのドゥオモ広場」1987年登録
登録区分 文化遺産
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「チャンチャンの考古地区」1986年登録(同年、危機遺産登録)
登録区分 文化遺産
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「フェロモンの秘密」
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「カイロの歴史地区」1979年登録
登録区分 文化遺産
登録基準(1)(5)(6)
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「全固体電池について」
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「ミラノのサンタマリア・デッレ・グラツィ修道院とレオナル・ド・ダヴィンチの『最後の晩餐』」1980年登録
登録区分 文化遺産
登録基準 (1)(2)
・ユッスーと行く心理学の旅➁
モチベーションについて~
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「オリンピアの考古遺跡」1989年登録
登録区分 文化遺産
登録基準 (1)(2)(3)(4)(6)
・ユッスーと行く心理学の旅➀
モチベーションについて~あめとムチの話
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チャイ、iPad airを買う
久しぶりのオフ会
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「サラマンカの旧市街」
登録区分 文化遺産
登録基準(1)(2)(4)
サラマンカの町の始まりは古代ローマのころ属州ヒスパニアにトラヤヌス帝によって建設された植民都市であるとされる。ローマ帝国が滅亡し、イベリア半島がイスラム帝国の支配下に入ると、この地はイスラム化し、トレドやグラナダと同様、イスラム文明を享受することになった。
古代ギリシアローマ学問やそれを発展させたイスラム学問がこの地にも集積され、中世ヨーロッパ世界にそれらを紹介する場となった。
レコンキスタが進み、この地がキリスト教圏になるとアルフォンソ9世によってサラマンカ大学が設立され、サラマンカは「知識を欲するものはサラマンカへ行け」と言われるほどになった。
大航海時代には、天文学の知識などが大いサラマンカ大学で研究される一方、反宗教改革や異端審問の舞台にもなった。
サラマンカの市街はイスラム様式からヨーロッパのゴシック様式やサン・エステバン修道院のバロック様式などヨーロッパの建築文化が集積されることになった。また、酸化鉄を含んだ石材からなる建造物の町並みはサラマンカを比類なき美しい町であると賞賛されるにいたった。
(Wikipedia)
・ユッスー報告
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ゆこぽんさん、あつこさん、イージーさん、南のタコクラゲさん、ありがとうございます!!
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・オープニング
チャイ、チャイネクスト人生相談室を始める
ユッスー、40歳の誕生日を迎える
・世界遺産のコーナー
「フォントネーのシトー会修道院」
登録区分 文化遺産
登録基準 (4)
登録年 1981年
拡張年 2007年
備考 2007年に緩衝地域が拡張された。
フォントネー修道院は1118年にクレルヴォーのベルナルドゥスによって設立され、1147年にローマ教皇エウゲニウス3世によって聖別された。教皇アレクサンデル3世は、1170年の勅書において修道院の財産を確認し、修道士たちが選挙によって修道院長を選出することも許可した。この頃に修道院では、近隣で採れる鉱物を用いた製鉄業や冶金業が発達した。
1259年にはフランス王ルイ9世があらゆる収税権を免除した。1269年には修道院は王国修道院 (l’abbaye royale) となり、ジャン2世、シャルル8世、ルイ12世らも寄進を継続した。こうした王家の保護にもかかわらず、ブルゴーニュ地方を荒らした数度の戦乱の折には略奪の憂き目にも遭った。それでも16世紀までは伸長する諸勢力から恩恵を受けつつ発展した。しかし、王家の利益となるように修道院長選挙の廃止が強制されたことで、修道院の凋落が始まった。18世紀には、修道士たちは資金的な遣り繰りに窮し、食堂を取り壊さざるを得なかった。
そしてフランス革命中の1791年には、修道院は敷地ごとクロード・ユゴーに78000フランで売却され、以降100年ほどの間、製紙工場に転用されていた。なお、1820年に所有権はモンゴルフィエ兄弟の一族であるエリー・ド・モンゴルフィエに移った。
1906年にはリヨンの銀行家で芸術愛好者だったエドゥアール・エイナールの手に渡った。彼は1911年までかつての修道院の姿を取り戻させるべく修復工事を行い、製紙工場も解体した。フォントネー修道院は現在でもエイナール家の私有物ではあるのだが、後述するように主要部分は観光客にも公開されている。
(Wikipedia)
・チャイペディアとユス袋のコーナー
「野郎ラーメンのようにラーメンがおいしくなる名称で女性の言い方はあるでしょうか?」
「最近体調が悪くて何にもしたくありません。そういう時、どうしてますか?」
・エンディングおよびメッセージ紹介のコーナー
Ayahoさん、ななえやえさん、ヨシニウスさん、匿名希望さん、りょうたさん、ありがとうございます!!
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※今回の収録は6月下旬に行われたものです。
※今回紹介した本やお知らせは一番下にまとめてリンクつけてます。
・オープニング
ユッスー、町田に行く。
チャイ、法華経を改めて学ぶ。
・世界遺産のコーナー
ペルセポリス
イラン・イスラム共和国
文化遺産 登録年1979年
登録基準 (1)、(3)、(6)
ペルセポリスは、アケメネス朝ペルシア帝国の都。ダレイオス1世(ダーラヤーウ1世)が建設した宮殿群であった。遺跡はイランのファールス州(当時の地名はパールサ地方)にある。
歴史
ダレイオス1世がペルセポリスの建設に着手したのは紀元前520年のことであった。これはダレイオス1世即位時の大反乱(詳細はアケメネス朝を参照)の鎮圧直後のことであり、当初帝国の中心として構想された都市であったといわれている。ペルセポリスはクーヒ・ラハマト(慈悲の丘)の山裾に自然の岩盤を利用して建設された。
都市の建設も、ダレイオス1世の治世からクセルクセス1世(フシャヤールシャ1世 前486年–前465年)、アルタクセルクセス1世(アルタフシャサ1世 前465年–前424年)の治世前半まで継続して行われており、ペルセポリスで行政活動が行われていた時期と、建設活動が行われていた時期がほぼ重なっていることがわかる。一方でこれらの行政記録から、ダレイオス1世時代から既に王がこの都市に滞在することはほとんど無かったこともしられており、帝国の中心としては圧倒的にスサの方が重要性の高い都市であった。多くの学者の説によれば、ペルセポリスの主要な用途は帝国の新年祭を執り行う場であり、諸民族からの貢納を受け取り、アケメネス朝の王権が神から与えられたことを確認する聖域であったと言われている。また、天文観測所としての機能も持っていたといわれており、暦の制定に重要な役割を持ったと考えられている。
時代を経るごとにペルセポリスが実際の政治から遠ざかっていったことは、王城内部にアルタクセルクセス2世やアルタクセルクセス3世の墓が作られていることからも推察され、更に新年祭などの儀礼行為も次第にスサやバビロンに場所を移すようになってペルセポリスでは行われなくなったと言われている。にもかかわらず、ペルセポリスはアケメネス朝の滅亡の時まで首都と見なされていた。これはアケメネス朝を滅ぼしたアレクサンドロス大王に纏わる諸記録からも明らかであり、またペルセポリス攻略の際に彼は12万タラントンの黄金を手に入れている。これは彼がスサで獲得した黄金の3倍にも上る量であり、これだけの財宝が保存されていたことは、アケメネス朝最末期においてもペルセポリスが重要な都市であったことを証明する。だからこそアレクサンドロス大王もわざわざこの都市を訪れ、そして破壊していったのである。
(wikipedia)
※本編の中でペルセポリスの語源の説の一つとして「都市を焼く」と話していますが、「都市を破壊する」の間違いでした。お詫びして訂正します。
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今回は4月10日頃に収録し、一旦お蔵入りしかけたものを編集して公開します☆彡
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メッセル採掘場の化石採掘地区
ドイツ連邦共和国
自然遺産 登録年1995年
登録基準 (8)
メッセル採掘場は、ドイツ・ヘッセン州の村メッセル近くにある油母頁岩の採掘場跡地である。フランクフルト・アム・マインの南東約35km のところにある。ここからは大量の化石が発見されており、その地質学的・古生物学的な重要性から、1995年12月9日にユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された。
採掘場跡地は、ライン地溝にあり、盆地のように窪み、大きな湖水が形成されていたところの一部である。グルーベ・メッセルはメッセルの孔という意味で、もともとは褐炭を採掘した露天掘り鉱山であった。
メッセル採掘場から大量の化石が産出することは、1900年ころには知られるようになっていたが、きちんとした科学的な発掘が行われるようになったのは、1970年代頃からである。露天掘りの採掘場は地下60 m ほどのところに約1km2(正確には1 km x 0.7 km)広がっている。
メッセルの堆積物が形成されたのは始新世にあたる5000万年前のことで、当時のヨーロッパ大陸は今よりも10°南にあった。このため、気候も生態系も現在とはずいぶん違っており、一連の大きな湖の周囲に鬱蒼とした亜熱帯林が繁り、信じられないほどの生物多様性が育まれていた。メッセルの湖底はおそらく流入してくる大小の川の中心点にあたっていた。
一帯の主な岩石である油母頁岩は、泥と枯れた植物が湖底に無酸素状態でゆっくりと堆積してできたものである。それが地下130mにまで広がり、その上に砂岩の層が載っている。化石が頁岩の中に非常に美しく保存状態も良好な形で閉じ込められたのは、この湖に独特な堆積上の特質による。湖の上層には多様な生物が確かに生息していたが、湖底は流れによる攪拌がほとんどなかったために無酸素状態となっていたのである。これによって、湖底の泥に埋もれて暮らす生物種はこのニッチに生息することができず、生物攪拌(bioturbation)が最小限に保たれたのである。また、季節変動で生じる湖水の層の入れ替わりは、水面近くの酸素含有量を下げ、水棲生物の季節的な「絶滅」を引き起こした。このことは、1年間に1mmという相対的に緩慢な堆積速度と相俟って、動物相と植物相の保存にとって最上級の環境を用意することになったのである。
(wikipedia)
・ユッスーが見たアフリカの感染症対応!のコーナー
当時はバタバタでしたが、今思えば
・エンディングとメール紹介のコーナー
ヒサケンさん&お蜜柑さん、おめでとうございます!!末永くお幸せに☆彡
イージーさん、ハセさん、みずきちさん、メールありがとうございます!
みずきちさんのPodcast「スリラジ(SleepRadio)」はこちら→ https://suriradi.com/
今回からメールアドレスが変更となりました!
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